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笑壷ソサエティ

笑壷ソサエティ

プロフィールの続き 私と補完(代替)療法

プロフィールの自己紹介を見ますと、資格ばかりで何か「資格マニア」のように見えてしまいます。

ちょっとプロフィールの追加をさせてください。

何かを習得するにあたり自己流も良いと思いますが、私のやり方は「学ぶ」ことからスタートします。

あるひとつの型・方法をつくり上げるには相当な年月と努力が必要です。
それを「教えていただけるとは、なんて素晴らしい」と思うのです。

私の習ったことはほとんどが物を作るということや道具が必要なことではありません。
ですから、それを習得するのに見合った価格かどうかは自分に聞くしかありません。
「必要であれば払える限り、必要でなければ無料でも要らない。」
しかし、この事は何事にも共通すると思います。

対象物があるとそれに対価を払っていますが、実際その価格で良いのか自分で決めているでしょうか?
実は似たものと較べて納得しているだけでなないですか?
たとえ不要でも、世間では高価な物が安ければ、必要なくても取り合えず買っておく。
「持っていることを皆に周知させて悦に入る。」ということはないですか?

そういう私も「目利き」ではありませんから、随分資格を取るのに悩みます。
悩んで悩んで自分がしたいことに「必要か」を自分なりに見極めたつもりです。
外国のものや伝統的なもの以外は、創始者から直接学ぶ、或いはなるべく多くの人を介さないで教えていただけるものを選ぶ。
これは、関わる人が多いほど創始者の思いと変わってきてしまうからです。

そして「以外」に大事にしていることが「自然と(習得への)道が開けるもの」
(手法と)お互いに縁があることが大切と思うのです。

手法を教えていただいたら、それを自分のものにできるように「使っていく」
似たようなものには手を出さずに自分の持っている異種手法をコラボさせて、より一層効果が上がるように勉強していく。
ですから、私は自分の習得した手法には確信と愛着があります。

しかし、それを活かすのは当事者(クライアント)です。
当事者の積極的参加がなくては効果は難しいです。そして私もできる限りの協力は惜しみません。


☆補完(代替)療法についての考え方

体を全体としてとらえる
また、体と心はひとつである ホリスティック医学(日本ホリスティック医学協会 専門会員)

現在、大学で心理学を専攻しています

そこから「現在、自分に表れている症状は何が原因なのか?」を見極める
だから「症状」が現れるのは「ありがたいこと」
或いは「症状に気づけたお陰で大事に至らずにすんだ」

つまり「症状」は心や体からの「ギフト」である


☆補完(代替)療法の使い方

「補完(代替)療法がいいか?」「西洋医学がいいか?」ではなく必要に応じた療法を使う

いつも気持ちを自分に向けておくことで
「自分の癖」「自分の気質」「弱点」が分かる、それが「予防医学」

生きている以上は何らかの症状は表れる、それを自分で対処することで楽に生きられる


☆「使用している補完(代替)療法」の共通点

・自分にも、他人にもできる

・道具・場所・時間・体力がいらない(強度の変化でリハビリにもなる)

・受ける人の精神的・身体的に負担にならない

・害がない
 ゆっくりと作用していくので無理がない(ノーリスク ローリターン)
 心と体の両方に効果(心と体はひとつ)がある

・症状が改善すると同時に、今の自分の状態も知ることが出来る

・自分の成長と共にテクニックも成長していくので、何歳になっても出来る

・今だけ行う「対処療法」ではなく、生涯つづける「心と体の養生法(予防医学)」



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